引かれ者の小唄

パートタイムギャンブラーの記録

僕と競馬.1

これまで、仕事が忙しかったので週末の重賞予想と回顧がメインでしたが、少しづつ仕事が落ち着いてきたので、週末以外にも記事を書けるときには書きたいなと思います。

今日は、自分と競馬との関わりについて。特に、自分と競馬との出会いについて思い出して書きます。

競馬との関わりは何度か書く気もするので、とりあえずナンバリングしてみます。

 

僕の競馬の原風景はみどりのマキバオー週刊少年ジャンプで連載していた、競馬好きにはたまらない不朽の名作です。

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今でも覚えていますが、僕がリアルタイムでジャンプを読み始めたのはドラゴンボールフリーザ編の終盤でした。おそらく、1991年の最初の頃のことかと思います。計算すると、僕が5歳くらいの頃です。
たぶん最初は、親に連れられ通っていた床屋でジャンプを読んでいたんです。髪を切られるのもそっちのけでジャンプを読む僕を見て、親が毎週買ってくれるようになったんですよね。当時はまだ体も小さくジャンプが持ちづらかったので、紙面を太ももの上にフラットに置いて、のぞき込むようにして、ページの隅から隅まで頭を動かしながら読んでいました。理容師さんはとても髪を切りづらかったと思います。

でも、仕方ないんです。だって、地球の危機がかかっていたり、魔界と現世の境界が崩れそうになったり、好きなあの子と付き合えそうになったりしているのに、髪を切られることなんてどうでもいいことですよね。僕にとって床屋は、髪を切りに行く場所ではなくマンガを読みに行く場所でした。髪を切りに行くこと自体はイヤでした。クソダサいスポーツ刈りにされるから。
床屋と漫画の思い出や、ジャンプの思い出は書き出すと切りがないのでこのあたりで。ここで重要なのは、僕は連載開始当初から「みどりのマキバオー」を読み続け、知らず知らずファンになっていたことです。

 

みどりのマキバオー」は、とても熱く感動的なマンガでした。パっと見は、白い豚のような馬がネズミを頭に乗せて走るギャグマンガですが、その実は零細牧場が最後の希望を込めて送り出した小さな競走馬が、騎手人生を諦めかけた若手ジョッキー、スパルタすぎて馬主から敬遠され鬼調教師と、優秀な参謀兼指揮官兼親分であるネズミのチュウ兵衛といっしょに、巨大ファームの超良血サラブレッドをはじめとする魅力的なライバルたちと激闘を繰り広げるマンガです。これを書いているだけで泣けてきます。
マキバオーの話も書くと長くなるのでこの辺で。とにかく少年時代の僕はマキバオーをとても楽しく読んでいました。が、楽しい時間にはすぐに終わりがきます。そう、連載終了に伴うマキバオー・ロス」です。

人は頼りにしていたものを失うと、その対象を別のもので補填しようとします。当然「マキバオー・ロス」に陥った僕も、損なわれた楽しみを別のもので補填しようとします。幸い、マンガ熱はジャンプに連載されているほかのマンガが埋めてくれました。マキバオーが終了する少し前にはONE PIECEの連載が始まりましたし、終了後すぐにはHUNTER×HUNTERの連載が始まりました。しかし、「熱い馬どうしのレースを味わいたい」という欲求の代わりになるものは、やはりリアルな競馬でしかありません。

 

馬どうしの熱い戦いを求め、僕は栃木県の出身なので今は無き宇都宮競馬を観戦しに行ったこともあります。

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当時の僕は競馬に関してはマキバオーで得た知識しかなかったので、宇都宮競馬の記憶は微かです。今思い返すと、競走馬が普通に公道を歩いていました。僕が自転車をこぐ横に、厩務員さんに連れられた馬が歩いているんです。普通に道路も信号を渡って横断していました。Wikipediaによると、厩舎が競馬場外にあったからだということです。馬糞の匂いが臭かった記憶と、馬ってめちゃくちゃ大きくてかっこいいと思った記憶があります。

で、熱い馬どうしのレースを求めて宇都宮競馬に行ったわけですが、地方競馬のマイナーな馬たちには正直感情移入ができず、熱い馬どうしのレースよりはおっさんたちの猥雑なたまり場という印象が強く残っています。場内予想が数十円で売られていたり、もつ煮を食べたり、当時中学生かそこらでしたが、友達と非日常を味わいに遊びに行っていました。が、マキバオー・ロス」は解消できず。


そんな日々の中、当時僕は12歳くらいだったと思いますが、ふとしたときに近所の書店で雑誌のサラブレを手にとったんです。そこで出会ったのが、スペシャルウィークグラスワンダーエルコンドルパサー1995年世代の馬たちでした。

マンガかよ、と思うほどドラマティックな世代です。そう、僕が求めていたものがそこにはありました。個人的に最も好きだったのはスペシャルウィーク。やはり、サンデーサイレンスの子・鞍上武豊・ダービー馬と、主人公感が最も漂っていました。もちろんグラスワンダーエルコンドルパサーもいずれも好きな馬で、なかなか甲乙はつけがたいのですが、僕の頭の中では主人公スペシャルウィーク vs 最強のライバルグラスワンダーエルコンドルパサーという図式が成り立っていました。当時の外国産馬には厳しい出走制限があり、どうしても主流からは外れた馬という印象が強かったんです。

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この1995年世代の馬たちこそが、僕を競馬にのめりこませた原因といえると思います。

この世代の思い出はまだまだありますし、その翌年の96年世代、テイエムオペラオーの思い出も語りたいところです。95年世代がマンガかよ、って感じだとしたら、オペラオーはゲームかよ、って感じですね。

この2世代の思い出は、またいずれどこかの場所で。

とりあえず今日は僕と競馬との出会いというお話でした。