引かれ者の小唄

パートタイムギャンブラーの記録

「勘違いおじさん」にならないために

今から10年ほど前だろうか。
同じ職場で俺の1歳上のM先輩という女性の先輩が、営業のK課長という20歳近くも年齢が上のおっさんからアプローチを受けていた。K課長は既婚者で、仕事はできるほうだったかもしれないが、まぁ大昔からモテなさそうな見た目の、加齢臭漂う色黒7・3分けでメガネの完全なるおっさんだった。
聞くところによると、K課長はM先輩の誕生日にバッグを買ってあげたり、仕事関連で車に同乗したときなどは自分の母校や地元回りを連れまわして紹介したり、とある日などは会社の出口で営業車に数時間段ボールを上げ下ろししてM先輩が仕事を終わるのを待って「送ったろか?」チャンスを待っていたりしたようだ。M先輩も迷惑しているということだったので、同じ職場の数人で仕事終わりはいっしょに帰るなどしてK課長をブロックし、徐々に徐々にK課長を遠ざけ、なんとか事なきを得た…ということがあった。
M先輩は見た目もセクシーな感じで、酒も飲むしノリもよいのでそういうおっさんからのアプローチは多かったようだ。ほかにも、取引先のこれまた20,30は年上の既婚者のおっさんから車に同乗しているときに太ももを触られるなど、おっさんからの被害エピソードはいくつか聞いたおぼえがある。まぁ、何らかの誘因性のあるふるまいなどがM先輩側にもあったのかもしれないが、そこまでは詳しく俺も聞かない。おっさんたちがすごすごと引き下がったことからも、そこまで明らかなハニトラ的ムーブはしていなかっただろうと思う。
10年ほど前の俺は思った。「既婚者のおっさんたち、20も年下の独身女性に相手にされるわけないのにアホすぎるだろ、どんな勘違いおじさんだよ…」と。そして同時に「俺も何年かの後には勘違いおじさんになるのか? いや、マトモな自意識とマトモな判断力を持っていたらそうはならないだろ」とも。
あれから10年。俺は37歳になった。子どもはいないが結婚もした。職場には15歳下の新卒たちが入社してきた。ここ数年は「コロナ禍」の名のもとに飲み会も少なかったが、今年は飲み会も解禁となり年下の奴らと飲むことも増えた。
今年、とある飲み会でこんなことを言ってくる女子がいた。
「(俺の後ろのテーブルから)ぷえきさん、私そっちのテーブル行ってもいいですか…?」
「私、ぷえきさんと飲むのがすごい楽しくて!もうぷえきさん信者です!」
「なんで私のこと「さん」付けで呼ぶんですか…距離感じちゃうからやめてください~」

 

今の俺は思った。
「おで、お前のこと好き!!!!!!!」と。

 

勘違いおじさんの完成である。

分かる、分かるよ。俺と彼女の間には暗黙の了解としての権力バランスがある。「俺に対しては全然気使わないでいいよ!」といくら俺が親しげに言ったところで15歳も年齢が上のおじさんに対して塩対応をするような度胸はなかなか普通の人間には備わっていないし、そんな年上の人間には無意識ながらも気を遣うのが通常のムーブだ。また、仕事上関わりがあるおもしろおじさん(俺は常に年下に対して道化でありたく、おもしろおじさんであろうと心がけている)に対しては通常の礼儀として、おもしろおじさんが喜びそうなおもしろワードを突っ込んでくるものだろう。
まぁ、つまり彼女は飲み会の空気を読みながら、(会社的な権力云々ではなく)飲み会の中で権力を持っていそうなおもしろおじさんたる俺に対しておもしろ若手女子としてのムーブをしてくれたのだ。

 

でも、俺は思ってしまう。
「おで、お前のこと好き!!!!!!!!!!」と。

 

それを受けて、俺はここ最近、「勘違いおじさん」にならないためにはどうすればよいかということを考えていた。

「勘違いおじさん」とは、年齢の離れた仕事上の付き合いだけしかない(時によっては年下の)異性の、おだてる言葉を真に受けてしまうおじさんを指す。
いろいろと考えた結論としては、おじさんが「勘違いおじさん」になることは避けられない。

俺もね、理性的には分かっていますよ何もかもが勘違いだということは先ほど述べたとおりにね。ただ、俺の胸の鼓動は既に俺が「勘違いおじさん」になってしまっていることを示している。ゾンビ映画でゾンビに噛まれたら感染するということが判明した後に一人で腕を捲って噛まれた痕を確認して青ざめている奴のように、俺は自分の経過と今後を理解してしまっている。俺は妻を愛しているし大切に思っているが、いくら自衛していても通り掛けに後ろからバットで頭を殴られたら意識も昏倒してしまうのだ。
しかし、なぜ人は「勘違いおじさん」になってしまうのか。

おそらく、大抵のおじさんは寂しいからだ。生まれた瞬間には祝福されて生を受けた男子たちも、時を経るごとに自己を承認してくれる存在は減ってくる。実際には、周りの人間から承認されながら生活しているはずではあるのだろうが、それを言語化して伝えてもらえる機会は年を減るごとにどんどん減ってくる。たとえパートナーや家族を持つおじさんであろうとも、パートナーや家族からの承認を自らが感じることができなければ、寂しさは募ってしまう。(ただ、それは決してパートナーや家族や周囲の人間・環境のせいではなく、おじさん自身のアンテナのせいであるかもしれない。)人間は誰しも承認欲求を持っているが、おじさんの承認欲求を満たしてくれるものはなかなか存在しない。しかし、おじさんたちの多くは、自らの承認欲求と向き合わずに生活をしている。嫌な言い方をすれば自らの感情を「見て見ぬふり」をして、いい言い方をすれば、節度を保って、生活をしているのだ。(これはもちろん言うまでもないが、おじさんに限ったことではないのかもしれない。)
そんなおじさんがたまたま何かのきっかけで承認されてしまったと自己認識で感じてしまったら、勘違いしてしまうのはやむを得ない。世界には自分と自分を承認してくれた彼女だけになってしまうのだ。これで勘違いするな、というのは無理な話である。ゾンビに噛まれてゾンビになるなというものだ。

なので、「勘違いおじさん」にならないためにはどうすればよいか、という問いを変えなければならない。俺が考えるべきは、「勘違いおじさん」になってしまったあとにどう振舞うべきか、ということなのだ。
結論としては「勘違いおじさん」になってしまったら空気のように生きるしかない。「ちょっと勇気を出してあの子を誘ってみようかな…!」はおじさんには許されない。おじさんは勇気を出してはいけない。勇気を出す勇者たる権利は若者にしかない。おじさんは森の賢者として静かに生きていくか、節度の格子で囲われた籠の中で、偶然落ちてくる木の実をついばむ愚か者であるくらいのほうがよいのだ。


では、「勘違いおじさん」になったおじさんが空気のように生きるにはどうすればよいか。おじさんも人間なので、何も意識せずに空気のようには生きていけない。以下では俺が思う、「勘違いおじさん」が何とか通常の社会生活を送っていくための2つの方法を紹介しよう。

 

1.シコれ
まずは、オナニーをしろ。まずは、というかこれだけでもいいかもしれない。
男が女に惑う原因の多くは、先にも述べた承認欲求と、性欲だ。であればまずは片方の性欲を撃退するしかない。
禁欲する、運動する、パートナーを抱く、パートナーがいなければ風俗に行く……などなど性欲を解消するにはいろいろな方法があるのかもしれないが、とにかくそれら全ての上位互換がシコるということなので、とにかく女に惑って道を踏み外しそうなおじさんはシコればいいと思う。
レオナルド・ディカプリオ主演の「ウルフオブウォールストリート」でも、主人公の先輩・マークが1日に2回シコることが成功の秘訣だと言っていた。迷ったらシコれ。シコっているうちに迷いが消える。迷いがなくなるほどにシコれ。シコってシコって性欲を消して社会に溶け込め。

 

2.妄想しろ
性欲がなくなったあとは、承認欲求を退治したいのだが、これは人間の根源に根ざした欲求なので退治できない。

誰かに好かれたい、愛されたいという自己は大なり小なり死ぬまでなくならない。ではそれを実現できないときにはどうすればいいか。
そんなときには、誰かに好かれたかもしれない、誰かに愛されたかもしれないという出来事を、自らの感情とともに、「あったかもしれない」「ありうるかもしれない」という可能性の物語として消費していくのだ。
叶わない恋であるならば、自らがベストだと感じる、涙が出るような「叶わなさ」を妄想し、もう終わってしまった恋ならば、その恋をもう一度立ち上げようとしても立ち上げられない完璧な「終わり」を妄想するのだ。

付き合ってはいけない女の子とオーセンティックなバーに飲みに行き、帰りたくなさそうな雰囲気を出されても泣きながら断って帰る妄想、昔付き合っていたあの子と街でたまたま再会して飲みに行ったが彼女の指には見たことがない指輪が光っている妄想…脳をフル回転させて考えろ。
ここで大切なのは、成功を妄想してはいけない。よりよい「終わり」を妄想するのである。
妄想は実現しない。悲しいかな、俺たちが妄想するよい出来事は何一つ始まらないのだ。それでもおじさんたる俺たちは思考すること、妄想することができる。逆に言えば、俺たちにできるのは、よりよい終わりを考えることだけなのだ。
現に俺は、前述の新卒女子に告白されるもののちょっとそれは俺が既婚者であるため成立してはいけないので断る、という妄想を、シチュエーションをあの手この手で変えながらこの2週間で5回はしている。もはや何が現実で何が妄想か分からない、ということにはならない。俺は理性的に妄想を繰り返すことで、自分の「勘違いおじさん」たる恋愛感情を消費しつつ、さまざまな経験を妄想として消費することで自らの脳を慰撫しているのだ。

Don't Feel, Think. 妄想を繰り返すことでしか俺たちは生きていくことはできない。

 

以上、「勘違いおじさん」にならないためにはどうすればよいかということを考えた結果、「勘違いおじさん」になったあとにどう過ごせばよいかということを思考するにいたった経緯を書いた。

先に述べた新卒女子にはその後自ら連絡せずに2週間ほどが経過する。下心抜きにして、自らを認めてくれる女子とはめちゃくちゃ飲みたいので「また飲もうよ!」と連絡したいのだが、連絡したその瞬間に、俺の内なる「勘違いおじさん」が外部に露呈し、俺はゾンビ化した主人公軍団の端にいるモブキャラのごとくヘッドショットを一発喰らってコンプラアウトで抹殺されてしまうだろう。
皆も、「勘違いおじさん」にならないことがいちばんではあるだろうが、「勘違いおじさん」になったあとにどうしたらよいかを考えながら過ごしてほしいと思う。

重要なのは、失敗しないことではなく、失敗したあとにどう過ごすかなのかだから。