引かれ者の小唄

パートタイムギャンブラーの記録

ブログタイトルを改題

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ブログタイトルを「引かれ者の小唄」に改題した。

最近とんとブログを書いておらず、まぁこれからも頻繁に書くようになるとは思えないわけだけれど、少しだけでもブログを書く気が起こるよう、自分が気に入るタイトルをつけなおした。

新しいタイトルの「引かれ者の小唄」は、「どうにもならない状況に陥った人間が、強がって平気を装うこと」を指すことわざだ。

「引かれ者」とは江戸時代の重罪人のことを指す。

当時の重罪人は馬に乗せられて、死刑を下される刑場まで「引かれ」ていった。だから「引かれ者」という。

彼らは数刻先には命を奪われるため内心は絶望的な気持ちだっただろうが、強がりか、気を紛らわすためか、短い歌や鼻歌を歌う者もいたという。

だから、「引かれ者の小唄」は、「どうにもならない状況に陥った人間が、強がって平気を装うこと」を指す。

「馬に乗せられ刑場へ引かれる罪人」

「どうにもならない絶望的な状況」

「強がる、平気を装う」

「でも結局は死ぬ」

まるで競馬というギャンブルに魅せられた我々の暗喩みたいじゃないか? というか、人生の暗喩のようだ。

競馬やギャンブルにハマっていない一般の人も含めて、僕たちは誰しもがいつか死ぬ未来に向けて、自分では行く先を決められない馬に乗せられて粛々と引かれているようなものだと思う。

そんなとき、暗い未来を憂いて下を向いていても気持ちが沈むばかりだし、かといって、自分が死ぬことを知らずに馬の上ではしゃいでいるのも馬鹿らしい。しかし、人は誰しも死ぬし、自分で行く先を決めることはできない(人間の自由意志なんて、大概がまやかしみたいなものだ)。

だから、いつか死ぬことを理解しながら強がって小唄を歌うくらいが、適切な人生の態度ではないだろうか。

ということで、今後は時間があるときに「引かれ者の小唄」のような記事を書いていきたい。ただ、時間がどれだけあるかは分からない…。

ご期待は乞いませんが、気づいたときにご覧いただけると幸いです。